日中友好の声日本語中国語弁論大会の歩み
本大会は、89年に元中国共産党中央常務委員の李瑞環(当時は天津市人民政府市長)先生の支持により、日中のマスコミ人が実行委員会を組織してスタートしました。開催にあたり、日本人は中国語で、中国人は日本語でスピーチすることが、本当の日中友好になるということで標題のような大会名となりました。
スタート時から、天津市(天津ラジオ局)と北京市(北京放送局)が、それまでに前例のないラジオによる一般公募によって実施してきました。日中間では最も長い歴史を誇る弁論大会です。中国人の入賞者は、大学・大学院への推薦入学をもらったり、北京放送日本語部にアナウンサーとして採用されています。また、日本から進出している大手商社やNHKなどへも就職するなど目覚しい活躍をしております。ちなみに第11回大会に、日本人による中国語スピーチ部門に特別参加した神戸市外国語大の学生は、第34回中国語弁論大会朝日新聞杯で全国優勝しました。本大会は名実ともに日中を代表するものに成長いたしました。
日本側は外務省(日本大使館)をはじめ、李瑞環先生(前出)の出身地であり、日中友好都市の第一号(当時の周恩来総理と田中角栄総理との間で取り決め)となった天津市と友好都市の関係にある神戸市、四日市市、千葉市が後援。マスコミ関係では、週刊誌、月刊誌の記者懇親会であるマスコミ情報研究会(代表幹事今村富也)やNHK千葉放送局が後援。NHKでは過去、テレビのニュースやラジオで50分間の特番等が組まれ、回毎に共同通信社や週刊ポスト、報知新聞社、地方新聞社などで報道されてきました。
中国側は外交部(中国大使館)をはじめ、天津市人民政府、天津技術開発区、国務院直轄の北京放送(中国国際広播電台)、新華通信社、北京週報社のほか、天津人民広播電台(ラジオ局)、天津日報社といった国務院直轄都市のマスコミが後援。天津ラジオや北京放送がダイジェスト番組を作成して国内外に放送し、新華社電として全国配信、日本語版北京週報にも取材記事として掲載されてきました。
実施にあたっては、日本の企業(東京電力、全日空、三菱商事、トヨタ自動車、三菱自動車、アサツーディ・ケイ、凸版印刷、ジャパンライフ、オムロン、ミロク情報サービス、東洋経済新報社、くもん出版、ミサワホーム、ハイパーテックジャパン、NTTドコモ、NEC、サニーフーズなど/順不同)にご賛助いただいてきました。
名誉顧問には、前出の中国共産党中央常務委員李瑞環先生の政策プレーンで筆頭秘書の方放先生(現華夏未来少年児童基金文化芸術基金会主席)を招聘し、審査員には日本側から中川秀恭氏(大妻女子大学長、財・日本語教育振興協会長)、姫田光義氏(中央大学教授、中国問題研究家)、宮崎吉政氏(政治評論家、元読売新聞社論説委員)、並河信乃氏(社・行革国民会議理事兼事務局長)、渡辺乾介氏(国際ジャーナリスト・「週刊ポスト」長期連載)、浅野純次氏(元東洋経済新報社会長)・今村富也氏(マスコミ情報研究会代表幹事)、内藤正夫氏(元NHK政治部長、財・NHK放送研修センター理事長)他幹部、橋本逸男氏(元日本大使館公使・上海総領事、内閣調査室次長など歴任、現財・自治体国際化協会常務理事)他歴代公使を招聘。
中国側からは外交部参事官をはじめ、北京放送の上級アナ、中国の日本語学会の正・副会長、日本語教育機関の教授を招聘。
最近は神田外語大学、神戸市外国語大学、大東文化大学、慶應義塾大学といった中国語の名門大学から審査員派遣の打診や問い合わせがあるまでになりました。
事務局は北京放送(中国)と東方通信社(日本)に常設し、回毎に実行委員会を組織し、本大会を実施しています。また、2~3年に一度、優勝者を日本に招待し、日本文化や企業文化、サラリーマン生活、新技術などの実踏、社会見学を実施。04年度では、7月に4名の優勝者(第12、13回大会)を日本に招待し、企業文化をテーマに本大会の協賛企業を見学しました。
上の「伝播信息 促進交流」は、日中マスコミの促進と交流を願って、李瑞環先生が揮毫したもの。
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